よいこのための新左翼入門 序 「なぜ左翼は内ゲバに走るのか?」

(某所で書いたモノの転載です)

これからしばらく、戦後の日本の学生・労働運動と新左翼運動を、自分の知識の範囲で解説していみたいと思います。(ちなみに僕は80年代生まれで、この時代の運動を直接知っている訳ではありません。また、これらの運動を評価したり否定したりするためでもなく、単なる戦後史の事実として、解説してみたいと考えています)

戦後の新左翼運動を学ぼうとする人にとって、まず問題になるのはやたらと組織の分裂が多く、それらの団体が一体何故争っているのか分からないことではないでしょうか?
左翼運動の歴史はそのまま内ゲバ(内部ゲバルト、思想的に似通った左翼同士又は団体内部での仲間割れ)と権力闘争の歴史と言っていいほどです。しかし争っている理由は、基本的には本家と元祖で起源を争うラーメン屋みたいなもので、争っている当事者以外には完全にどうでもいいです。(いや、そもそも当事者たちですら差を理解していたかどうか怪しいものだと思いますが)。まぁ、はっきり言うと今から共産主義者になるのでも無い限り、全く無視してもかまいません。

ではそもそも何故、左翼の人たちはことさらに同族嫌悪が激しいのでしょうか? 同じ共産主義を信じているのであれば、単純に考えれば連携が可能に思えるのですが。

僕が考えるに、彼らの思想自体に2つの問題があって、共産主義は必然的に内部闘争が避けられないのです。
1. 平等な社会を目標とする激しい理想主義者であること。
2. 歴史を単一の軸に従って進歩していくものであると捉えていること。

それでは、この原因がなぜ内ゲバに繋っていくのかを説明します。

共産主義イデオロギーをものすごく乱暴に言ってしまえば、全ての人間が平等な社会を作ることにあります。

でも、現実の世界においては平等は実現不可能です。そもそも、革命という壮大な事業を成し遂げるためには、多かれ少なかれ、上位下達の軍隊型の組織が必要となります。これは彼らの理想とする平等な社会とは真っ向から対立します。上位の人間がヒト・カネ・モノのリソースを独占し、下位の人間が不満を持つことは歴史を見ても、どんな社会でもどんな集団でもありがちなことです。そのため、左翼団体の中では、平等の理想とそれを実現するための現実的方法である強圧的ヒエラルキーが緊張を持って同居することになります。

そしてそこに第二の理由が加わります。マルクスの考えでは、人類の歴史は単一の路線に従って発達した資本主義から共産主義へと「進歩」していくとされています。そのため、彼らは考えの異なる人間を認めることができません。思想の違いを優劣の差としてしか捉えられず、結果、お互いに相手を劣ったものとしか考えずに、深刻な対立に陥っていくのです。
また、この考え方によって、左翼の人たちは共産主義を知らない一般人を見下しています。劣った大衆を自分たちが導いてやらねばならないと考えています。結果、一般的な良識からどんどん離れていき、普通ならあり得ないような残酷な殺人すら、彼らの論理では正当化されることになるのです。