京都のお寺のマーケティング?

連休の間に京都に一泊二日で旅行してきました。京都に行くのは都合4回目なのですが、行くたびにいろいろな発見や楽しみがあって本当に楽しいです。

京都の街の中を歩いていると、行政・チェーンの飲食店や宿泊施設から、個人経営と思われる小さい飲食店やおみやげ屋さんに至るまで「我々は、観光都市として生きていくんだー!」 っていう決意(?)とサービス精神を感じます。そういうふつうの人々力強さと心地良さみたいなものから、何度も行ってみたくなる観光都市が作られているんだなぁと感心させられます。


それで、特に面白いなぁと思ったものが、(うっかり写真を撮り忘れてしまったのが残念なのですが)、癌封じのお寺でした。

癌封じのためのお寺が有るって、すごく興味深いと思いませんか?

だって、そもそも癌で亡くなる人が少なかった時代から、癌封じのお祈りに対して大きな需要があった、とは考えにくいですよね。そもそも昔の日本では感染症や他の理由で亡くなる人が多かっただろうし。もちろん、健康祈願のような、似たことをやっているお寺や神社は昔からあったはずです。でも、癌という特定の病気に対してのお祈りやお守りを売るという発想が、保守的と考えられている宗教関係者から出てきているということに、とても驚きました。

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ちょっと考えてみると、癌の治療祈願を売るっていうのは、商売として素晴しい発想だと思います。

まず、潜在的な顧客の数はかなり多いです。ここ30年ほど癌は日本人の死因トップで、年間30万人以上が癌で亡くなっています。癌の治療中の患者の数、一度治療したものの再発のリスクのある人や、患者の家族まで含めればかなりの数になるでしょう。将来的には日本人の2、3人に1人は癌で亡くなると言われている時代、漠然とした"健康祈願"ではなく、癌患者というセグメントに注目した目のつけどころは本当に鋭いです。

そして、医療行為や薬を売ることと違って、失敗した場合のリスクがほぼゼロです。昨今では医療ミスによって患者が亡くなったり、重い傷害を負う事件が社会問題となっています。その中には、医者が本当にミスをしたのか、専門家でない人には分かりにくいことも多いです。その人に対して、医療がプラスに働いたのかマイナスに働いたのかは、検証が不可能なことも多いでしょう。これは代替医療でも同じです。普通では治せない癌の治療を唄う代替医療でも、患者が亡くなってしまえば責任を負わなければなりません。
しかし、お祈りであれば、「5千円もお賽銭を入れて祈ったのにお父さんが亡くなった。祈祷ミスだ! 金を払え!!」と言って訴訟される心配はありません。そもそもお祈りとはその程度のものだと皆分かっているのですから。

更には、お寺には人々の漠然とした祈りをお金に換えるためのノウハウと、長い伝統の中で培ったブランドがあります。例えば、あなたの癌の回復をてんきゅうぶが祈ります、と言ってもお金を払う人はおそらく居ないと思われます。しかしそれが京都の伝統のあるお寺のお守りや絵馬だったら、非科学的だと頭では分かっていても、千円くらいなら出してもいいか、という気になる人は多いでしょう。神にもすがりたい、余命宣告された人だったら、もっと出してしまうかもしれませんし。


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さらに考えてみると、特に京都の神社仏閣の類いってテーマパークにそっくりじゃないでしょうか?

拝観料という名の入園料を取って、ミッキーマウスの代わりに仏像があり、おみくじやお寺の歴史や仏像の由来を勉強するアトラクションもあり、お土産のキーホルダーの代わりに絵馬やお守りを売ってるっていうテーマパーク。

得られる効果がテーマパークと神社仏閣の間で違いはあっても、特定の場所にしか無い価値があって、それによって人を集めて成り立っているという構造は、どちらもとても似ています。

僕が何度も行きたいと思うようなお寺も、確かにテーマパーク的な発想で作られているところが多かったりします。

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とは言っても、僧侶がここまで考えた上でお寺を経営してるかは分かりません。(というかそんな商売っ気たっぷりなぼうさんは嫌だ…)。でも、市場競争とは一番遠くにありそうな宗教ですら、生き残りのためには時代ごとのニーズに合わせて変化していかなければならない、ということなのかもしれません。