自由と平等

経済思想とは、結局のところ、「自由と平等のバランスをどう取るかという問題なのだ。 」ということを、前にテレビである人が言っていました。

僕はこれを聞いて、なるほどなぁとポンと膝を打つ思いでした。こうやって、複雑な問題を一言で言い表せる人って本当に頭がいいと思います。

たしかに自由と平等は、フランスの国是にもあるとおり、人間にとって普遍的に大切なものです。自由な社会では、暴力によって他人の財産や自由を奪うことも"自由"です。それじゃあいけないよね、ってことで、暴力や不当な他人への支配を制限して、更に人々の間の階級を無くしある程度平等な社会を作ってきたのが近代までの人間の歴史です。それでも、近代の経済的に自由な社会では、ごく一部の(社会から広く必要とされる特殊な)能力を持った人が富と権力を独占し、自分たちに都合のいいようにルールを作ることで、不平等な社会になってしまいます。じゃあ、それを防ぐために、社会保障システムを通じて再分配を行うと、平等は実現されても自由は制限されてしまいます。
あらゆる人の自由と平等を同時に実現する、という困難な仕事をなんとか実現しようと戦ってきたのが人類の歴史なのかもしれません。
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さて、この「自由と平等のバランス」という点からいろんな思想を考えると、
・自由サイコー! 平等? クソ喰らえ! = リバタリアンとかネオリベと呼ばれる人たち
・貧乏人が死なない程度の平等は必要だけど、やっぱり自由が大事だよね = 僕が考えるステレオタイプアメリカ人のイメージ
・自由もそれなりに大切だけど、平等な社会のほうがいいよね = 日本(最近は少し変わってきてるかも?)
・平等サイコー! 自由とか何の意味もないぜ! = ソ連とか新左翼の過激派

という感じ?

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そして、右翼/左翼という対立も、この枠組みで考えられるかもしれません。

・右 = 天皇制とかの身分制度を支持、 平等な社会よりは自分たちの(民族集団的な)利益を守る。
・左 = あらゆる人が平等な社会が理想

こう考えると、左よりの人たちが(女性、性的マイノリティ、被差別民族などの)解放運動に熱心なのも分かります。全ての人が平等であるべきだと考えるから人間同士の連帯を重視するのかも。もっと言えば、左翼というのはエゴ、利己心を否定しようとする傾向があり、右翼というのはそれを肯定しようとする試みなのかも。

昔、左の人たちが元気だった時代というのは、一部の人の利己心があまりに強すぎて、他の大勢の人があまりに貧しかったために、不平等感が強かったという背景があるのかも、と妄想。みんながそこそこに豊かになった時代では、まぁそんなに他人のことに目くじらを立てなくても、自分のちょっとした利己心が満たされることのほうが大事だよね、ってことでしょうか。

ソ連が崩壊し、左の思想が今これだけ人気がないことを考えると、利己心を制限して平等を実現する左の思想は、やっぱりどこかで無理があったんじゃないかと。人間は、平等よりは自由を、エゴの充足を求める方が自然なのかもしれないですね。