「現代経済学の直観的方法」書評

恥ずかしい話なんだけれど、僕は昔、といっても高校を卒業するくらいまで、経済がどうして成長するのかが直観的に理解できなかった。
人が店で物を買う、店はまた別の企業から商品を買い、企業は人を雇って(労働力を買って)商品を作る。その流れだけを見れば、お金はただ単にいろいろな企業と人の間を回っているだけで、経済の規模がどんどん大きくなっていくような余地はどこにも無いように見えたから。


「経済が何故成長するのか?」という疑問に対する答えを言ってしまえば、利子の付いた借金があり、それがいろいろな設備投資の形で世の中にバラまかれる、そしてその過程を多くの人がくり返すことによって、世の中にあるお金の総量がどんどん増えていくという仕組みになっているのだ。でも、その単純な構造が直観的に腑に落ちたのは、大学生になってからだったように思う。学校の社会科や政治経済の科目を勉強して経済の用語はひととおり知っていて、新聞の経済欄や論説にも目を通していたにも関わらず、だ。


日本の長期のデフレや金融危機など、経済と金融というものが現代の社会の中で重大な問題となっていることは分かっていても、肌感覚として明確なイメージが抱けない、個々の現象としては理解できても本質的な後ろにある原理が分からない、そういう落とし穴みたいなものが経済分野には多いように感じる。(例えば僕が分からなかった利子と経済成長の関係のように)


前置きが長くなったけど、「現代経済学の直観的方法」は、そういう"経済とは何か"という疑問にズバリ真正面から答えてくれるすごい本だった。

この本の一番面白いところは、経済を成長させるためではなく、経済を遅くすることができないか、という観点から書かれているところ。 むしろ経済の成長を遅くできないという特徴が、現代の社会の様々な問題を引き起こしているという視点は興味深い。

通常の経済の解説書は、色彩の差はあっても結局は「いかに経済を繁栄させるか」という主題を巡って記述がなされている。

それに対して本書は全く正反対に「成長を続けて止まれない資本主義経済をどうすれば遅くできるか」という主題を設定し、いささか天の邪鬼な視点で裏口から現代資本主義のメカニズムに迫ってみようという方針をとる。

読者にも経験はおありと思うが、今まで何度読んでもわからなかった問題が、逆の視点から見ると実にあっさり把握できるということは稀ではなく、本書はその方式の利点を最大限に活かす方針をとっている。 (P.8)


特に印象に残ったのが、利子というものが受け入れられるようになった歴史。借金が経済の表舞台に立つようになったのは、比較的近代になってからのことであり、それ以前は農村経済は定常状態の中にあったのだという。では、どういう経緯によって借金と投資が社会に受け入れられたのかは本書に譲るけど、この2, 3世紀くらい、経済の規模が指数的に拡大し続けたことは、もしかすると人類の歴史からすると、異常状態なのかもしれない。

しかし私としては、ここで一つ経済学者から見れば気違いじみていると見えるような見解を提出してみたい。すなわちそれは「資本主義とはその外見とは裏腹に、実は最も原始的な社会経済システムなのであり、それ以上壊れようがないからこそ生き残ってきたので
はないだろうか」ということである。
実のところ現代資本主義社会とは高度なテクノロジーと弱肉強食の金貸しの理屈をるつぼで混ぜて作った合金のようなものであり、いわば未来性と野蛮性の奇妙な混合物である。そのためどちらに注目するかでしばしばその見方は180度変わってしまうことになるのである。

実際もし後者の野蛮性の部分にもっぱら光を当てた場合、例えば金貸しなどというものが人類最古の職業であって、少なくとも中世までは人類がその英知を傾けて抑え込もうとしたものだったということなどがどうしようもなく浮かび上がってくる。
(p.45-46)

卑近な金儲けや投資の話ではなく、経済を人間の欲望のせめぎ合いに基づいたダイナミックな社会システムの中の論理として捉えたい人におすすめの本。



ちなみに、こちらから第一章が読める。
http://book.motion.ne.jp/

追記

この本は、全体を通して「経済を遅くするためにはどうしたらいいか」という問題意識から書かれている。
しかし、その方法を扱った第七章については、具体的な政策とは言いがたく、はっきりいってお手上げなのではないかと感じた。
著者は比喩を使って語ることは上手なのだが、比喩へ写した後の操作を「解決法だ」と言われると、まるで「この人形の皮膚は塩化ビニールでできているから、塩化ビニールの重合反応を観察すると火傷の治療法が分かる」と言われているような気分になってしまう。