金子さんの講義

ちょっと前にwinnyの開発で有名な金子勇さんの講演(というか講義か?)を受けてきた。非常に興味深くはあったんだけど、生粋のギークと単なるワナビーとの違いをまざまざと見せ付けられ、ちょっといろいろと思うことがあったのでまとめておく。
一度自分のプログラミング遍歴みたいなものをまとめておきたいとも思ってたしね。

金子さんの話

彼は小学生のころからプログラミングをしていたそうだ。8bitのポケコン、もちろん整数しか扱えず、表示も数十文字×4桁程度のポケコンで、疑似3D表示をさせたり、高速で点滅させることで濃淡を表示させるなどかなりキモい(褒め言葉)ことをやっておられたそうだ。他にもグラフィックアクセラレータなんて存在しなかったころからフライトシミュレータを作ったり、AI,CGや物理演算など手広く(趣味として)手掛けられていたそうだ。そしてwinnyを開発されたことも、ご存知の通り。

一方で僕はというと…

僕が最初に触ったPCは、windows95だったと思う。おそらく小学生のころだ。父親が仕事のために使っていたものだ。パソコンと言えばマインスイーパソリティア、あとは父親がたまに買ってくるPC雑誌の付録として付いてくるゲームをするだけのものだった。当時はもはやユーザ=開発者ではなくなり、パソコンで動くプログラムというのは、誰か知らないエラい人が作るものだった。コンピュータの実際の動作、あるいはプログラミングといった行為は小綺麗なGUIに隠されてしまっていた。

自分が本格的にプログラミングを始めたのは大学に入ってからだ。実は高校のころも、ちょっとだけ興味があってC言語を触ってみたけれど、Hello,World++くらいのレベル、要するにキー入力を取ってきてコンソールに変な模様を出すレベルのトイプログラムで挫折した。そのうちに受験勉強が急がしくなってきてそういったことからも離れてしまった。

とにかく大学に入り、教養ではJavaを、専門ではCを主に習った。やっぱり最初は全然プログラムの意味が理解できなくて、このころの課題やら実験やらができたのは本当に学科の友人のおかげだと思う。それでも何度か繰り返すうちに、ある程度プログラミングをすることの意味が分かってきた。たしかtwitterを始めて、同世代の優秀な人たちと交流しはじめたのもこの時期だ。
そして、ある実験と授業で、コンピュータアーキテクチャについて習い、書かれたプログラムがどうコンパイルされ、それらのアセンブラがどう実際の機械の上で動くか。そしてメモリ上の変数やらがどう動くのか、それらを通じてプログラムの真の意味みたいなものをおぼろげながらに理解できたと思ったのが、恥ずかしながら学部の4年生のころだった。金子さん(のような神レベルの人と比べるのはおこがましすぎるとしても)、そして周りの同い歳の天才たちと比べて遅いと思う。

プログラマ15歳誕生説

プログラマ35歳死亡説とか廃人説じゃないけれど、「プログラマ15歳誕生説」というのを、その話を聞きながら思いついた。15歳という年齢に特に意味はないけど、いわゆるweb上で有名なアルファギークと呼ばれる人たち、そして自分の周りの天才たちは大抵中学生までにプログラミングを始めたように思うからだ。

中二病」とかいう言葉もあるように?、中学生というのは転換期で、何かを始めるには人生で最高の時期だと思う。ある程度の抽象的な思考もでき、個人の興味関心が定まってきているもののまだ見えている世界はとても小さく、かつまだ「のびしろ」がある。そういえば僕も何かに一番没頭できていたのは中学の時期だ。その時間が無駄だったとは思わないけど、もしあの時間をプログラミングに使うことができたら自分はまた違っていたのかもしれない。
話がそれた。とにかく中高生というのは何かに没頭するには本当に良い時期だと思う。

モチベーション

彼は「モチベーションを持ち続け、毎日着実に進むことが大事だ」というような意味のことを言っていたと思う。その重要性は痛いほどに分かる。それでも、もう僕が中学生のころにジャグリングにハマったようには今プログラミングには没頭できない。たしかに今は知識もあり、リファレンスとウェブの情報さえあれば、自分はどんなプログラムでも書けるだろうと思う。でも、もう今の自分の中にはそこまでのエネルギーはない。たしかに、いくつかのプログラミングトピックには興味を感じるし、ウェブを本当に使いこなすためには絶対にプログラミングの知識が必要であると思う。いやもっと単純に、プログラミングは面白いと感じる。それでも、彼の中にあるものはもっと別物のように思う。「とりつかれている」という表現が正しいのかもしれない。きっと面白いとかいうレベルではなく、「書かざるを得ない」のだと思う。

どうしようもなく

ムリヤリ結論じみたものを書いておくと、ギークというものはある意味では、「どうしようもなく」なってしまうものだと思った。だからこそ、自分にとってこの講義は何の参考にもならなかったが、とてつもなくおもしろいものだったことは確かだった。